~うりぼうの独り言~
HPなんて面倒くさい、ブログなんて誰も読まないから書かない、って言っていた私がとうとう始めちゃいました。


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    出発
    行ってきま~す!

    おはようございます。

    これから空港に向かいます。
    紀行文はこうご期待!

    いい天気、現地は暑そうです。
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    御用納め
    大掃除…

    今日は御用納めの日。
    明日からわが事務所は休暇に入るのですが、私自身が明日から旅行に行くため、今日は事務所の大掃除をしました。

    処分すべきものも色々出てきてガラクタ(?)の山となりました。

    限られた時間での作業だったのでピカピカというわけにはいきませんでしたが、そこそこ片付きました。
    後はこのゴミを処分すること。

    でもきれいなのは外見だけで机の中は結構散らかっているのですよね…。

    私って、本当掃除が苦手なのです。


    思い出のオールディーズ(特別編)
    WHITE CHRISTMAS(1942年)

    懐かしい歌声が聴こえる。
    夜更けのラジオから流れるあのメロディー。
    若い日の自分を思い出しながらふと、口ずさむ。

    皆さん、こんばんは。思い出のオールディーズ、パーソナリティの吉本修治です。

    昨日に引き続いて、今夜もクリスマスソングをお届けしましょう。

    今日紹介するのはスタンダード中のスタンダード、全世界に知られた「ホワイト・クリスマス」。
    ビング・クロスビーの余りにも有名なナンバーです。
    14週連続全米1位、全世界で4500万枚を売り上げた驚異的ヒット曲です。

    世界中のアーティストにカバーされ、今なお歌い継がれる名曲。

    私もこの曲を聴かないと、クリスマスを迎えたという実感が湧きません。

    今夜は無粋な解説はいりませんね。
    早速お聴き下さい!

    ホワイト・クリスマス

    思い出のオールディーズ(特別編)
    SANTA CLAUS IS COMING TO TOWN

    懐かしい歌声が聴こえる。
    夜更けのラジオから流れるあのメロディー。
    若い日の自分を思い出しながらふと、口ずさむ。

    皆さん、こんばんは。思い出のオールディーズ、パーソナリティの吉本修治です。

    今回はいつもと志向を変えてクリスマスソングのスタンダードを紹介します。

    今夜は皆さんおなじみの「サンタが街にやってくる」をクリスタルズのバージョンでお届けします。

    クリスタルズは1960年代に活躍した黒人女性ボーカルグループでたくさんのヒット曲を生みました。
    機会があれば彼女達のオリジナルソングをご紹介します。

    誰しも、少年少女時代、サンタクロースの到着を今か今かと待ちうけて、いつの間にか眠ってしまった経験がおありでしょう。
    夜中にふと目が覚めて、枕元の包みに眠気も忘れて夢中で遊んだあの日。

    いつまでも少年少女の心は持ち続けたいものですね。

    それではお聴き下さい。

    サンタが街にやってくる

    チャップリン映画紹介
    チャップリンの失恋(1915年)

    この題目でのブログは久し振りですね!

    さてさて、今回の映画は、チャップリンがエッサネイ社に移った年の作品です。
    原題は「The Tramp(浮浪者)」。
    幼年期を極貧で過ごしたチャップリンの原点とも言える作品です。

    チャップリン扮する浮浪者チャーリーはどこかペーソスを感じさせるものがありました。
    しかし、ヒロインにふられても笑顔で地平線の向こうに歩いていく、というラストシーンを見ることができます。
    このラストシーンはその後の作品でもしばしば見られるようになり、この作品は初期短編の中でもとても高い評価を受けています。

    これまでのチャップリンはドタバタ喜劇一辺倒みたいなところがありましたが、この浮浪者には哀愁を持たせ、演出にもかなりこだわりました。当初、周りのスタッフからはなかなか理解してもらえなかったそうですが、その後の品評からチャップリンの観点は間違っていなかった事が証明されたわけです。

    皆さんも是非一度ご覧になってください。

    地方航路
    地域格差

    今日の高知新聞夕刊は飛行機に関する記事が多くありました。
    一つは高知~伊丹線が一便がジェット機からボンバル機に縮小されるに伴い、増便を検討している旨の記事、もう一つは空港における地方便への冷遇への批判を綴ったコラムでした。

    しょっちゅう空港に出向く自分にとっては、ああ、あなたもそうお感じなのですね、という内容でうんうん頷きながら読んでいました。

    今は違いますが、昔は伊丹空港のバス乗り場そのものが手荷物検査場から物凄く遠い所にあって、そこからバスに乗ってかなりの時間乗った後にようやくプロペラ機に到着、ということがありました。

    でもたくさん乗っていると、たまに珍しい体験もします。
    羽田空港第2ターミナルの59番ゲートは手荷物検査場のすぐ傍ですが、ここに高知便が到着あるいは出発ということがあってとても驚いた事があります。
    また、新千歳~羽田便が羽田への到着が遅れたために離れた所に到着してバスで移動(500人が乗ったんですよ。よくバスがありましたね。)ということもあります。

    確かに高知県は飛行機離れが深刻で航空業界には痛手の地域なんでしょうが、コラムにあるように利用者視点をもっと見据える事が必要ではないかと感じています。

    なかなか難題ですけどね。
    乗り換えの不便さはよく感じています。
    何とかしてほしいな。

    休日業務
    小雨降る中で

    実はこの土日と高知にいます。
    私が週末にフルに高知にいたのは10月以来の事で、お盆が終わってからでもまだ3回目に過ぎません。
    それほど今の私には「週末に高知にいる」ことが大変珍しい事になるのです。

    今日は午後から事務員に休日出勤をお願いし、たまっている仕事の整理と会計ソフトの入力、年賀状の印刷等をお願いしました。

    その間、私もある程度の仕事を片付ける事ができました。

    普段、独りで休日出勤している時はついだらだらとしてしまいがちですが、今日はそういうわけにいかず、平常どおり神経を張り詰めていたので(?)結構はかどりました。

    年末の慌しい時期ゆえ、スタッフの協力は不可欠です。
    机の上が大分きれいになりました。

    明日はバタバタせずにすみそうです。

    事務所不在がち
    THE MAN HARD TO MEET

    今朝は根抵当権設定登記申請の必要書類を郊外の銀行に取りに行く事から始まりました。

    その後、大急ぎで事務所に戻り、大急ぎでオンライン申請書の作成&申請、それから施設へ入所している老齢の女性に毎月の定期面談。
    ここで、ちょっとしたトラブルがあって滞在時間が予定より長くなり、急いで事務所へ帰ろうとしたところ、金融機関から電話があって抵当権抹消登記申請依頼。
    書類受領後、やっと昼食だ~、と思ったのも束の間、お客さんと面談。
    大急ぎで昼食を採った後は再びお客さんとの面談。

    その後は電話、電話の嵐で今日はちっとも休まる暇がありませんでした。
    途中、自動車運転中に睡魔に襲われたこともあります。

    いやぁ、なかなかハードな一日でした。
    飛び込みの客があったのですが、追い返さざるをえませんでした。
    一日の疲れがどっと出て、今も瞼が重いです。

    でも、今夜は飲み会。出かけます…。

    オンライン病
    夢幻飛行

    今朝、事務所に出勤して来た事務員がプリンターの上に重なっている紙の山を見て感嘆しました。

    紙の正体は、昨晩私がネットで決済したANA、JALの航空券のWEB領収書。
    来年3月までの分をある程度まとめて印刷したところ、結構な量になったのです。

    3ヶ月でこれだけ飛行機に乗る予定なのか…。

    正直、溜息も出ました。
    これだけ予約が重なると、どれを予約していてどれを決済していないか、ホテルは取ったか、などなど次から次へとチェック項目が出てくるのです。

    決済を忘れると予約そのものが取り消されてしまうこともあるのですが、その取り消された事も気付かないでいることもあり、厄介です。

    塵も積もれば何とやら、格安航空券でもこれだけ買うと出費も相当なものです。
    おかげで私のヘソクリがどんどんなくなっていきます(ToT)/~~~。

    これからも航空券予約は続きそうです。


    緊急避難
    カルネアデスの板

    今日、歯医者に行った時の待ち時間に漫画「金田一少年の事件簿」を読んでいました。

    その中で「悲恋湖伝説殺人事件」という作品があり、刑法第37条の「緊急避難」について描かれています。

    平成17年、私は母校土佐中学校で法教育の出前授業をしたことがありますが、その時、生徒達からの反響が大きかったのが、この緊急避難というテーマでした。

    一隻の船が遭難し、乗組員が海に投げ出されました。一人の男が偶然、一片の板切れを見つけ、それにしがみついていました。そこへ、もう一人の男がやってきてその板をつかもうとしました。板切れは小さく、二人がつかむと二人とも沈んでしまう、そう考えた男は、後から来た男を突き飛ばし、その者を溺死させました。その後、この男は裁判にかけられました。
    果たして彼は有罪か無罪か?

    古代ギリシア時代に提唱された「カルネアデスの板」という命題です。

    昭和30年5月、香川県高松市の瀬戸内海上で宇高連絡船「紫雲丸」が沈没し、多くの小学生が亡くなるという痛ましい事故が起きましたが、助かった小学生の一人が「救命ボートに乗ろうとしたら見知らぬおじさんに突き飛ばされた」と証言しています。

    カルネアデスの板は、我が国の法律では刑法第37条により、無罪となります。

    犠牲になったのが人の命ならば、護られたものも人の命。命と命でその価値は変わりません。
    価値が同じである以上、有罪にはできない、という理論です(法益均衡の原則)。

    この法益均衡の原則を初めて知った生徒達が驚いた事をアンケートに綴ってくれました。

    来年から裁判員制度が始まります。
    皆さん、こういう条文があるということを知っておいてください。


    根抵当権設定
    初めての仕事

    昨日、私は開業後初めて根抵当権設定登録申請を行いました。

    一瞬、「へ?」と思われた方もいらっしゃるでしょうが、書類提出先は法務局ではなく、運輸局。

    そうです、今回は自動車に担保権を設定したのです。

    司法書士試験受験時代は、不動産だけでなく、自動車にも抵当権が設定できるということは勉強していましたが、まさか本当にやることになろうとは。
    申請先が運輸局なので今回は、行政書士として根抵当権設定申請を行いました。

    自動車抵当は実務上はまれで、また具体的手続きがよく把握できていなかったのですが、案ずるより産むが易し、無事、その日のうちに設定登録が完了しました。

    自動車登録事項証明書に根抵当権の表示がされているものを初めて見ました。

    慌しい一日でしたが、無事完了して胸を撫で下ろしました。
    不動産登記とはかなり勝手が違いましたね。
    いろいろと勉強になりました。

    専用の申請用紙、登録免許税額(極度額の1000分の3)など、新たな発見ばかりでした。

    雪に濡れながら
    やはり北国は寒かった

    すっかり恒例(?)になりました羽田空港でのブログ更新(笑)。

    昨日今日と半年前に訪れた岩手県盛岡市に再び足を踏み入れました。
    一昨日の東京は、都内に前泊して翌日早起きしなくても良いようにするのと、ホテルでゆっくり仕事をしようと思ったのが理由でしたが、BGMのつもりでつけたテレビ番組にすっかり夢中になり(浅野ゆう子と真矢みきが出ていたドラマです)、結局何したやらわからん状態でした

    昼に盛岡に到着した時は何ともなかったのですが、会議が終わった夕方5時半には辺りは雪が止めどなく降り続け、私の黒いコートがみるみる白く染まっていきました。
    土佐弁で言うたら「まっこ冷やいちや」でした。

    会議は今日の午後1時頃まで行われ、その後東北新幹線に乗ったのですが、ほとんどの時間寝ていましたのであっという間に東京に着いたという感じです。
    東京~盛岡間は東京~新大阪間とほぼ同じ距離で所要時間も同じですが、東北新幹線も速くなったものです。

    昨晩携帯電話の電池が切れ、しかも充電器を忘れたので今日の私は時計がなく、結構不便さを感じています。
    今回に限って懐中時計持ってこなかったからなぁ。

    まだまだフライトまでには時間があります。
    このまましばらくラウンジでくつろぎますね

    また明日お会いしましょう。
    (城達也の「ジェットストリーム」を思い出しながら、今日はこのへんで。)

    哀しいですね
    朝のNHKニュース


    こんばんは、また東京都内のホテルの一室にいるうりぼうです。

    私は自宅で朝食をとる時は眼鏡を外したままなので、朝のニュース番組も音声だけ聴いているという感じです。

    しかし、今朝は、とあるニュースに思わずブラウン管の前で釘付けになりました。

    東京都内の司法書士が2億円以上の所得を隠し、国税庁に告発されるというニュースです。
    ああ、なんと言うことでしょう、私とほとんど年齢の違わない同業者の不祥事が全国ネットのニュースで大々的に報道されたのです。

    債務整理を数多くこなし、莫大な報酬を得たようですが、失ったものはあまりに大きすぎました。

    報道のされ方は、「司法書士が過払い事件を金儲けの道具として扱っている」とも受け取れる表現だったのです。
    本当に哀しいですね。

    一部の者のために業界全体が変な目で見られてしまう…。

    司法書士ってこんな職能ではないのに(怒)。

    日本司法書士会連合会の力丸美彦理事が沈痛な面持ちで取材に応じていました。
    力丸さんとは一度お酒の席でご一緒させていただいたことがあるのですが、穏やかな口調の紳士で、趣味の自動車の話を楽しそうにされていました。
    あの時とはまったく違った哀しい顔。

    私達にできることは地道な活動で失われた信頼を少しずつでも取り戻すことです。
    道は平坦ではなく時間もかかるでしょうが、目を背けないで歩いていきましょう。



    快適シート
    ゆったりと

    先日の日曜、そして次の土日と新幹線の利用が多くなりました。

    この前は広島~岡山間を利用しましたが、所要時間が短い事もあって自由席を購入しました。
    もし立つことになっても40分ぐらいなら我慢できるから、というのが理由です。

    広島司法書士会館を12時10分過ぎに後にした私は広島駅に向かいました。
    岡山駅を14時20分に発車するバスのチケットを購入していましたから、時間には余裕がありました。

    のぞみやひかりなら40分程度で到着ですが、今回私は所要時間が2倍のこだまに乗ることにしました。
    ホームに着いて10秒後に列車がやってきました。
    12時30分発岡山行き4両編成。岡山着13時52分です。

    案の定、自由席はガラガラでした。
    窓際に座り、横の座席に荷物を置きました。
    後ろに乗客もいないので安心してリクライニングシートを倒せます。

    今回、私がこだまに乗った理由は空いていることもありますが、座席が2列×2列だったことによります。
    ご存知の通り、新幹線は2列×3列が基本。
    つまり、今回のこだまはシートピッチに余裕があるため、ゆったりしているのです。
    現在では最も古い型の100系新幹線ですが、ちょっと気に入りましたね。

    2列×2列は「ひかりレールスター」指定席も該当するので、私が新幹線に乗る時はわざわざレールスターを選ぶことが多いのです。
    快適なシートは何もグリーン車ばかりではありません。

    ひかりレールスターも100系こだまも山陽新幹線でしか運行されていませんが、西日本の皆さんも利用されてみてはいかがでしょうか。特に、ひかりレールスターは九州新幹線全線開通後は廃止されるらしいですから。

    相談者の涙
    利益相反

    高知県司法書士会館では毎週午後6時半から債務整理相談会を開催しており、今日は私の当番でした。
    事前に相談概要が送られてくるのですが、詳細までは分からず、相談会場で具体的聞き取りを行います。

    親子で来られた方がいらっしゃいました。
    相談内容は大変お気の毒な内容で援助の手を差し伸べたい案件でした。

    しかし、です。

    私達司法書士には「業務を行い得ない事件」というのが司法書士法で定められており、今回の相談内容がそれに該当したのです。
    利益相反、すなわち私の顧問先に対する相談でした。
    私としてはお断りせざるを得ませんでした。

    本当に困って司法書士会館に訪れたお二人には本当に気の毒ですが、偶然の悪戯としか言い様がないのです。
    私が詫びを入れると、お二人は涙を見せながら会館を後にしました。

    本当に胸が塞がれる思いでした。
    今日の相談は本当に辛かったです。

    お二人は何も悪くないのに。
    ほろ苦い一日でした。

    ノルマ山積み
    片付かないよ~

    師走も本格的になり、私も年内に終わらせるべく仕事を順次処理していますが、その一方で仕事とは関係ない用事と言うのがあります。

    レポート・資料の作成が実は山のように溜まっているのです。
    昨晩もこのパソコンを前にして文献を広げながら資料作成に勤しんでいましたが、日付が変わると激しい睡魔に襲われ、キーを打つ事もままならなくなりました。

    こりゃいかん、と思い帰宅、今日はさほど面談の予定もないから日中取り掛かろう、と思っていたのですが、なかなかそうはいかないものです。

    電話やちょっとした郵便物の整理でかなりの時間を費やし(何でかな?)気がつきゃ午後5時になっているという感じです。

    今日もこれからちょっとした会合です。
    早めに会場に行かねばならないでしょうから、そろそろ出ますね。

    平和への旅
    平和祈念公園

    ちょっと間が開いてしまいましたけど、先月の沖縄旅行の話の続きを。

    ひめゆりの塔を後にした私達はそのまま東に車を走らせ、平和祈念公園に向かいました。
    時間が午後5時前だった事もあり、中の資料館に入ることは断念しました。

    見学にかなり時間がかかると思われるのでまたの機会にしようと思ったのです。

    辺り一面に広がる丘陵地帯。その視界の先には米兵の捕虜になることを恐れた住民たちが飛び降りたであろう崖がありました。

    晴れた空と、青い草。それと対照的に波音は荒れていました。
    昭和20年も、このような感じだったのでしょうか。

    平和を祈念して私達は後にしました。
    途中、高知県戦没者を祀ってある「土佐の塔」があるらしいのですが、事前にネット検索してもその場所が分からず、行くことはできませんでした。残念でした。

    帰り道は行きと違って渋滞に遭遇。
    午後7時までにレンタカーを返さないと翌日料金を追加されると言われていたのでドキドハラハラでしたが、3分前に無事到着。3人で3,150円(ガソリン代別途703円)という非常に格安な交通費でした。

    この後、別の地を観光していた同業者と那覇市内で焼肉を食べ、私の沖縄最後の夜は更けたのであります。

    極寒の山陽路
    粉雪舞う流川

    昨日今日と、司法書士新人研修中国四国ブロック実行委員会が広島司法書士会館で開催され、それに出席しておりました。

    金曜は午前様でしたので朝8時のバスはきつかったです。
    ほとんどの時間寝ていました。

    広島県に入って、東広島市付近でしょうか、目が覚めると、辺りが白いんですよ。
    え?雪

    見間違いではありませんでした。
    バスが終点広島バスセンターに到着し、降りたところ寒いのなんのって

    11月に秋田へ行った時よりも寒かったです。

    瀬戸内って雪降らないと言うイメージがあるのですが、広島市民の方に聞くと、結構降るらしいですね。
    途中、広島市民球場前を通ったのですが、ちょうど広島カープOBオールスターゲームが開催されていたようです。皆さん、寒くて大変だったことでしょう。

    会議終了後は街に繰り出して飲み会。
    まぁ、皆さん、話のネタが尽きないこと。
    ホテルへ戻った時は午前3時ちょうどだったと思います。

    でも、今朝10時からはちゃんと会議しましたよ~。

    帰りのバスはまた爆睡でした



    思い出の自動車
    ダットサン・サニー

    皆さんが、生まれて最初に乗った自動車って何か、覚えていますか?

    私は、記憶はないのですが、白のダットサン・サニーです。
    父親のマイカーでした。
    排気量1000cc、5人乗り、3速コラムシフトだったそうです。
    私が生後間もない写真の背景にその車が写っています。

    今日、出先から事務所へ帰る途中、右折信号待ちをしていた時に目の前をこのダットサン・サニーが通り過ぎていったのです。色こそ違いましたが、
    「うわぁ、懐かしい~。」
    と思わず見入ってしまいました。

    歴史を語る「高5」と書かれたシングルナンバー。

    若い方へちょっと解説を。
    小型乗用車のナンバー「高5」は私が生まれた昭和46年に廃止され、以後「高55」「高56」「高知57」「高知58」「高知500」と変遷しております。

    ですから、シングルナンバー車を見るのは今では本当にまれです。

    ちょっとタイムスリップしたうりぼうでした。



    世界の車窓から
    土佐電鉄伊野線

    今日は仕事の出先から事務所に帰るまで、路面電車に乗りました。
    区間は朝倉~上町五丁目で、時間にして15分強だったでしょうか。

    市内均一区間外で乗ることはあまりないので、今日はとても新鮮でした。

    ご存知の方も多いでしょうが、朝倉電停は高知大学のすぐ傍にあり、朝倉~鴨部間は土佐電鉄でほぼ唯一県道の上を堂々とレールが走っている区間です。
    電車が止まるたびに自動車は停止を余儀なくされる、ドライバーにとっては嫌な区間です。

    そんな区間も電車に乗ると、不思議なものです。
    この区間は道路の幅も狭いので車窓からすぐに朝倉の店の数々がはっきりと見えます。

    昔ながらの軒先が並んでいました。
    また、ノスタルジーを感じちゃいました。
    映画「三丁目の夕日」の都電からの街並みを彷彿させる光景でした。

    やがて、電車は鏡川橋にさしかかりました。120円の運賃が190円に上がりました。
    乗ってて分かったんですけど、電車の橋梁って、自動車道のそれより低いんですよ。視線の上に自動車が走る光景が映りました。
    意外でしたね。今まで幾度となく自動車で鏡川橋渡っていましたけど、そんなこと気付かなかったです。

    国道33号を快走し、旭駅前通を通過。運賃は300円まで上がりました。
    程なく上町五丁目に到着。

    ここからは徒歩5分でわが事務所。

    日々時間に忙殺される私にはゆったりと走る路面電車が癒し空間のようです。
    私が近年、路面電車によく乗るようになったのもここら辺が理由なのでしょうね。



    郵便事情
    日没後の配達

    最近、事務所への郵便物の到達が遅くなりました。

    以前は正午前後でしたが、民営化後次第に遅くなり、今は事務員が帰った後に到着します。

    正直、これは痛いです。

    午後5時過ぎての配達は事実上、翌日配達と変わりありません。

    速達や配達記録は日中配達されますが、普通郵便がねぇ。

    同業の皆さんはお分かりいただけると思うのですが、登記事項証明書をオンラインで取得しても、配達が遅いということは請求日の2日後にお客様へお届けということになるのです。

    これは大変なタイムロス。

    せめて午後3時までには配達してもらいたいものです。

    配達区域の見直しをしてもらいたいです。


    思い出のオールディーズ
    WHY DO FOOLS FALL IN LOVE

    懐かしい歌声が聴こえる。
    夜更けのラジオから流れるあのメロディー。
    若い日の自分を思い出しながらふと、口ずさむ。

    皆さん、こんばんは。思い出のオールディーズ、パーソナリティの吉本修治です。

    今日紹介する曲は1956年の作品で、フランキー・ライモン&ティーンエイジャーズの「恋はくせもの」。
    同年4月に全米6位を記録、今でもアカペラグループが必ずと言っていいほど練習する、老若男女、国境の壁を越えた世界的ヒット曲ではないでしょうか。

    リードボーカルのライモンは当時13歳、ラジオで聴いた人々はライモンが女性だと思ったという話は珍しくありませんでした。
    メンバーもその名の通り皆十代の若者で16歳で最高齢。

    当時流行っていたドゥーワップの中でも歌詞の内容は陽気さがにじみ出ていました。

    私が20代に、アメリカに初めて旅行した時、フロリダ・オーランドのユニバーサルスタジオでウェイターやウェイトレスの格好をした方々がアカペラライブをしていた時に歌っていたのがこの曲でした。
    今でも凄く印象に残っています。

    私は冒頭のベースソロが特に気に入っています。


    この曲の大ヒットと対照的に、ライモンの人生は悲劇的でした。数年後にドラッグ依存症となり、25歳で死亡。あまりに早すぎる死でした。

    でも、この曲は今もなお、歌い継がれています。
    それでは、お聴き下さい。


    恋はくせもの

    ドジャース名監督列伝
    ウォルター・オルストン~最多勝監督

    “one cup of coffee”-一杯のコーヒー。
    この言葉には、「束の間の大リーガー」という意味があります。
    一杯のコーヒーを飲む間だけ大リーガーだった、ということで、大リーグに入ること、居続ける事の難しさをうまく表した言葉です。

    そんな束の間の大リーガーだったのがウォルター・オルストン。
    1936年、セントルイス・カージナルス時代に1試合だけ出場、1打席1三振、守備機会2回、失策1という記録を残しました。

    そんな全くの無名だったオルストンは1954年、ブルックリン・ドジャースの監督に就任しました。
    翌1955年に初優勝、ワールドシリーズでもニューヨーク・ヤンキースを破って初のチャンピオンに輝きました。ロサンゼルス移転後も1959年に世界一と、通算でワールドシリーズに7回出場、世界一4回の栄冠に輝きました。
    1976年にトミー・ラソーダに譲るまで23年間、ドジャースの監督を務め、チーム最多の2040勝を挙げました(2位がラソーダの1599勝、3位がウィルバート・ロビンソンの1399勝)。

    オールスターの監督として最多の7勝もさることながら、ナ・リーグ最優秀監督賞も3度受賞しています。「ジェントルマン」と呼ばれたように、性格の温和な人物でした。

    1983年に殿堂入り、それを冥土の土産に1984年、72歳で逝去しました。

    背番号24はドジャースの永久欠番です。




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