~うりぼうの独り言~
HPなんて面倒くさい、ブログなんて誰も読まないから書かない、って言っていた私がとうとう始めちゃいました。


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    山間の町
    旧幡多郡大正町

    昨日今日と高齢者虐待に関する会議があり、ともに出席してきました。
    昨日は高知市内でしたが、今日は高岡郡四万十町へ。
    四万十町といっても、今日の行き先は旧大正町役場。旧窪川町役場から25キロも離れた所にあります。

    雨の降る中、車を走らせました。
    高知市から90キロは流石に遠かったですね。

    私は生まれてこの方、旧窪川町より西に行ったことがなく、国道381号線も実質上初めて走行しました。

    窪川中心街を抜けると民家がまばらになり、やがて山と川しか見えなくなりました。
    本当に自然の中を走っている事が実感できる場所でした。

    やがて、大きな集落が見え、目的地に到着しました。
    街並みは梼原町に似ていますね。

    当初は1時間程度の予定だった会議も1時間半ほど行われました。
    会議内容を検討すると成年後見制度の利用が望ましい案件でしたが、四万十町は成年後見制度に積極的な司法書士のいない地域です。

    もどかしさを感じながらも流石に往復180キロは私にはヘビーです。
    旧大正町・旧十和村も窪川からだと1時間で行ける距離。
    何とか、この地区住民の救世主となる、成年後見に積極的な司法書士が誕生してもらいたいものです。
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    家族旅行
    タンゴ紀行

    この土日は家族旅行に出かけておりました。

    元々は昨年計画していたのですが、スケジュール等の問題で今年に延びたものです。
    5年ぶりぐらいの旅行でした。

    今回の行き先は日本三景の一つ、京都天橋立。

    マイカーやツアーで参加すれば費用は安く抑えられました。
    高知~大阪間を飛行機で移動すればもっと有意義に時間を過ごせ、また高知にも早く帰って来られました。

    しかし、今回はあえて「JRでの旅」にこだわりました。

    これまでの家族旅行は飛行機がメインで、旅行好きの母も旅行はバスか飛行機ばかり。
    私以外の家族全員が特急南風にも新幹線にも十年以上も乗っていなかったのです。

    そこで「たまには汽車の旅もいいね。」という母の意見と、「天橋立は行った事がない。」という父の意見を取り入れ、全区間JR又はその他公共機関を利用した旅にこだわりました。

    午前7時半すぎ、JR旭駅へタクシーで向かいました。
    旭駅の真向かいには父の母校旭東小学校があり、懐かしそうに見入っていました(当時、高知市城山町の校区は旭小学校、後に旭東小学校だったのですよ!)。

    午前7時53分、特急南風6号岡山行きに乗車。
    両親は初めて乗るグリーン車にご満悦でした。

    続きはまた今度ね

    JTA102便
    本当に廃止するの?

    制度委員会合宿は21日午後終了しましたが、私はそのまま那覇市内に宿泊し、翌日高知へ戻りました。
    月曜は沖縄高知直行便が運航されているのでこれに乗って帰ることにしました。

    早めに那覇空港へ来て土産コーナーに行きましたが、30万都市にしてはびっくりするぐらい広かったです。
    いかに観光客が多いかを物語っていますね。

    搭乗口にも早めに到着しました。最初は人もまばらでしたが、出発時刻が近付くにつれ、どんどん人が増えていきました。

    アナウンスによると、この日の沖縄高知便はほぼ満席とのこと。
    確かに旅行帰りの方がたくさんいらっしゃってスーツ姿の私は特異な存在でした。

    就航10年、利用率の低下から廃止が決定した本路線。
    初めて乗った便が平日にもかかわらず満席。
    本当に不採算路線なの?というのが率直な感想でした。

    かつて就航していた高知札幌便も高知からの乗客は順調でしたが、その逆が低迷しているという事で廃止になりました。今回も同じ理由だそうです。
    ただ、月・木・土のみの運航で高知発午後、沖縄発午前、というスケジュールが立てにくいダイヤという事を考えると、健闘しているんじゃないの、と思います。
    松山便との交代運航なのでこのような曜日設定になっているようですが、曜日と時間を再考すればまだまだ廃止は早いよ、と思うのは私だけでしょうか…。

    宮崎に行く機会があったのに休航中で利用できなかった高知宮崎線、短命に終わった高知広島西線や高知鹿児島線という便は一度も利用出来ずじまいでした。

    誰かさんが10年も前にネット上で「鹿児島~高知~米子~小松」コミューター便創設を提唱していましたが、出張の多い私は、実現すると嬉しいなぁ、と思っているのです。

    琉球紀行その2
    集団自決跡地~沖縄に散った尊い生命

    今回、私達が渡嘉敷島に行った理由は「米軍が上陸した最初の沖縄の島」だったからです。
    昭和20年3月26日のことでした。

    渡嘉敷島は目立った観光スポットはないのですが、私達は帰りの船に乗る直前、島の展望台の近くにある「集団自決跡地」に行きました。

    上陸した米軍から逃れるために高台へ逃げる島民。しかし、容赦ない砲撃に危機を感じた住民は「生きて捕虜となり辱めを受けるより死して国に殉ずることが国民としての本分である」として集団で自決する決意をしました。
    沖縄戦開始後3日目、3月28日に300名を超える住民の生命が犠牲になりました。

    集団自決が行われているとは夢にも思わない米兵たちは高台から夜通し聞こえるうめき声に恐怖を覚えます。
    翌朝、偵察に行った米兵が見たものは足に踏み場もないほどに折り重なった住民の亡骸でした。

    「米兵は男を殺し、女性に暴行を加える。」と信じきっていた住民は、米兵に手当を受けた事に大変驚いたそうです。

    本当に痛ましい事件です。石碑の前に立った私達は誰も口を開く事ができませんでした。

    若人が楽しくはしゃぎまわっていたこの島で63年前に、実際に起きた事件。

    平和の大切さを痛感しました。

    琉球紀行
    エメラルドグリーンの美ら海

    今日は秋の彼岸。墓参に出かけておりました。

    さて、話を沖縄見聞録に戻しましょう。
    19日夜に沖縄入りした私は那覇市内で同行仲間たちと居酒屋で落ち合いました。
    参加メンバーは東京・千葉・京都・福岡・熊本・鹿児島といろんな箇所から集まりました。
    全青司制度委員会の合宿です。

    翌20日から本格的に委員会(勉強会)が始まりました。
    場所は那覇から船で35分の渡嘉敷島です。
    渡嘉敷島はマリンスポーツで来る観光客がほとんどなのに、勉強会メインで訪れる我々は特異だったに違いありません。

    午前10時から午後4時まで(休憩ははさみましたが)みっちり委員会を行い、その後、皆でビーチに。

    私も海で泳ぐのは本当に久し振りで、シュノーケルをつけるのは初めての経験でした。
    沖縄の海は、本当に美しく言葉では言いようもありません。
    砂浜も綺麗な白砂でした。
    海中に戯れる色鮮やかな魚の群れ。
    デジタルカメラを持っていかなかったのが本当に悔やまれます。

    夕食後、琉球民謡を聞きに島の居酒屋に行き、その後砂浜へ。
    夜空を見上げればいっぱいに広がる輝くあまたの星。

    星ってこんなにたくさん輝いていたんですね。
    高知市内でこれほどまでに星を見ることはできないです。

    翌21日も正午まで委員会が開催されました。
    会議がメインだっただけに、会議外では皆はしゃぎたくなるのは当然ですよね。

    あっという間の2日間でした。

    全日空での経験
    貸切状態と快適なシート

    こんばんは、久し振りの更新です。

    この週末は沖縄に行っておりました。
    そのときの出来事は後日紹介するということで、今回は沖縄に着くまでの話を。

    先週の金曜日、沖縄に向けて出発しました。
    この日は台風13号が高知県南部を通過した日。
    欠航が懸念され、私はドキドキしていました。
    幾度となく、ANAのホームページを見て、多少遅れが出たものの、欠航便はない、との情報を入手し、空港に向かいました。そのとき、既に高知は青空が広がっていました。

    金曜は高知沖縄直行便はなく、関空経由でした。

    16時55分のボンバル機に乗りましたが、何と乗客が私を含めてたったの8名!
    台風を懸念して便の変更をした方が多かったのでしょうが、それでも驚くべき少なさです。
    うち6名は前方に着席されており、12列目の私の周囲には誰も乗客ナシ。
    貸切状態のフライトでした。

    関空に着いて19時発の便を待っているとき、ふとプレミアムクラスに乗りたくなりました。
    急いで受付に行って変更手続を。幸い、空席があり無事アップグレード完了(出発時には満席になっていました)。
    プレミアムクラスは当日空席があれば、手持ち航空券に5,000円上乗せすれば乗ることができます。
    正規料金は大阪沖縄便では37,700円ですが、実際私が払った金額は旅割15,00円プラス5,000円の計2万円。半額強で乗れたんですよ(なお、普通席の正規料金は34,200円で、旅割の次に安価の特割7でも26,900円です)。
    普通席より早めに乗れて、シートは快適、夕食付でドリンク飲み放題。私はワインを飲みました。
    フライト時間が2時間近くあったことを考えると、今回は実にお得な買い物をしたと思います。
    だって、私より高い料金を払って普通席に乗った方たくさんいらっしゃるんですから。

    プレミアムクラスは私はたまに利用する程度ですが、タイミングがよければ大変お得に乗ることができます。
    皆さんも是非快適な空の旅をどうぞ。

    ただ、今回の私みたいに乗り継ぎの途中に気まぐれでアップグレードすると、預けた荷物が普通席と同じタイミングで出てくるのです。これは私も係員に説明不足でしたね。気をつけましょう。

    落雷訴訟
    厳粛に受け止めて

    昨日下された土佐高校落雷訴訟判決。

    このニュースをブログで書こうかどうか迷いましたが、母校のことでもあり、あえて書かせていただきます。

    法曹に関わる人間の一人として、土佐高校はこの判決は厳粛に受け止めなければならないと言えます。
    わが母校は高知県のみならず、全国に名を馳せた名門高校と自負しています。
    だからこそ、どんな判決もきちんと受け止め、被害者にきちんとした償いをして欲しいのです。

    新聞記事でしか(一部伝聞もありますが)私もこの事件のことをよく知りません。
    最初は私も誤った解釈をしておりました。

    やがていろんな事実が見え始め、訴訟背景には人間性の追求があることも知りました。


    私事ですが、平成15年12月、原告の北村光寿さんのご尊父の故・和満氏に一度だけお会いしたことがあります。恰幅のいい方だな、という印象でした。後で知人から「あの方がそうだよ。」と教えられました。
    私の名刺ホルダーには和満氏が元気で働いていた頃(ただ、現実にはかなり辛い日々を過ごされていたようです)の名刺が綴じられています。

    池上武雄校長は母校のホームページでコメントを掲載していますが、一日も早く北村さんへの償いを全うして欲しい、OBとしてそう願っています。


    全国研修こぼれ話
    うりぼうのルーツ

    12日夜に大阪入りした際、岐阜県のとある司法書士から「吉本さんのブログ拝見させてもらってるけど、『うりぼう』ってどういう意味?」と聞かれました。

    私のブログって知人しか見ないと思っていたので、ここではその説明をしていませんでしたね。

    今を遡ること5年前、神戸で司法書士新人研修を受けていた時のある日の飲み会で、皆の干支の話題になりました。私は亥年と答えたのですが、愛媛県の某氏が「お前、猪ってことはないだろ。まだまだ子供だ。うりぼうで十分だ。」って言うんですよ。
    それが他のメンバーにも定着し、「うりぼう」と呼ばれるようになりました。
    まぁ身長も162センチと小柄なんで、イメージが湧きやすいということも言えますね。

    また、13日の全国研修懇親会でお酒に酔った私は河内音頭を即興で踊っていましたが(恥ずかし~(>_<))、その姿を私のブログの閲覧者という岡山県の方に見られちゃったんですね~。顔から火が出そうでした

    いやはや、ブログって怖いですね。ホムペの存在もあまり公表していないのにこの認知度は何だ、と思うこともあります。

    でも、そういうことを意識しすぎるとネタがギスギスするので、これからも書きたいこと書きますヨ



    ボウイングの壁
    美しさとは程遠く…

    今日は週一度の楽器教室の日。

    週末の大阪出張もあって、先週から今週はほとんど練習をすることができませんでした。

    楽器というのは上達するのは難しいのですが、弾かなくなって腕が落ちるのはあっという間です。

    今は、弓を弾く練習を重点的に行っていますが、出てくるのは軋む音ばかり。
    コンサートで聴かれるような美しい音色とは無縁の音です。

    気持ちは入っているのですが、なかなか良い音色になりません。
    ホント、難しいですね…。

    綺麗な音が出るようになるともっともっと楽しくなるのに。

    頑張るのみです。



    大阪全国研修
    史上最大の研修会

    12日の午後から今日にかけて大阪に行ってきました。
    今、伊丹空港でこのブログを書いています。

    13、14日と第37回全国青年司法書士協議会全国研修が大阪市の国際交流センターで開催されました。参加登録者は史上初の1000人の大台を突破した大規模研修会となりました。
    12日の夜は配布物の袋詰め作業のために前日入りしたものです。

    12、13日はともに飲み会でホテルへの帰りが午前様になったのでブログ更新できませんでしたm(__)m。

    去る3月に私は全国大会を開催しましたが、今回はゲストとして参加して(厳密には違うけど)、実行委員の姿に当時の私を重ねていました。

    成年後見と不動産登記の分科会に参加し、13日は中国四国地方の受付のサポート、14日は不動産登記分科会の受付のサポートをしたこともあって、感情移入がしやすかったのですよ。

    今日の昼、大阪全国研修のすべての日程が終了しました。

    大会実行委員長の挨拶を聞いているうちに3月のことを思い出し、不覚にも頬を濡らしてしまいました。
    大阪の実行委員の皆さん、本当に大変だったでしょうが、大団円を迎えてよかったです。

    今は打ち上げの真っ最中とのことですが、今夜は思いっきりはじけて欲しいです。
    あの時の自分達のように。

    2年間の大変な準備期間、でも本番はたったの2日間。この一瞬のために多くの汗を流した実行委員の皆さん、本当にお疲れ様でした。

    そして、素晴らしい感動をありがとうございました。


    一日の終わりに
    花海道の波音

    今日は午後から南国市に多重債務者相談会への出張に出かけておりました。

    予定時間を1時間近くオーバーし、また、同市のお客さんのところへハンコをもらいに行く途中、道を間違えたりで、もうくたくたでした。

    帰りは県道14号線を通ってきましたが、花海道でふと自動車を止め、海が見たくなりました。

    黄昏時(トワイライト・タイム)に浮かぶ夕月と聞こえ来る波の音。

    一日の疲れを癒すには十分な贅沢なひと時でした。

    普段は時間に忙殺され、何かとストレスの溜まることが多いのですが、疲れている時に聞く波音は格別ですなぁ。

    そして春野町の山々を見ながら帰宅。
    海と山を同時に眺められる、高知県人でよかったなぁ、と思ったのでありました。

    ルパン三世傑作選
    脱獄のチャンスは一度(旧4話)

    私が生まれて間もない昭和46年11月14日放送で、私が旧シリーズでは最高傑作に挙げる作品です。
    この作品からオープニングが「俺の名はルパン三世。」で始まるナレーションバージョンに変わりました。

    銭形警部の罠にかかったルパン三世は、長野県黒姫刑務所(もちろん架空)に連行されます。
    死刑宣告をされたルパンですが、一向に脱獄しようとしません。しかし、「俺はルパンではない!気をつけろ、この看守こそ本物のルパンだ!」と意味不明に叫び続けるのでした。
    1年が経ち、死刑執行の時が近付いてきました。
    脱獄を企てないルパンに銭形のみならず、次元大介も峰不二子も焦り始めます。

    そしていよいよ死刑執行。

    ルパンはこの瞬間を待っていたのです。一世一代の賭けに出て、見事脱獄に成功しました。
    その過程はぜひ作品をごらんになってください。

    ルパンは銭形に麻酔銃で撃たれたことに最大の屈辱を感じていました。「あれが実弾だったら俺は死んでいた。」
    プライドを傷つけられたルパンが、怒りをあらわにし、銭形への復讐を企てます。
    新シリーズではルパンが逆に銭形に麻酔銃を撃ち、また不二子に麻酔銃で撃たれる作品がありますが、いずれもハードボイルドさは全く出ていません。

    モンキー・パンチが「怪盗ルパン」の「脱獄」という作品をベースに書き上げたそうです。
    ルパン三世のハードボイルドさが最もよく表れている作品と思っています。

    この作品に坊さんが登場しますが、最初は自転車だったのが、季節が変わるごとにスクーター、セダン車、高級スポーツカーと変化していきます。どれだけ儲けたんや、と突っ込みたくなる制作者側のギャグだと思います。

    ルパンと次元の友情、不二子のルパンに対する本当の気持ちが見られる、貴重な作品です。


    ヴィンテージカード
    昭和時代の産物

    職業柄いろいろな銀行のキャッシュカードを持っていますが、その中で四国銀行のキャッシュカードから一枚、紹介しましょう。

    件のキャッシュカードが下の写真ですが、昭和50年代末に発行されたものです。
    若い方はごらんになったことがないのではないでしょうか、というぐらいレアになっているカードです。
    で、写真に写っているのはカードの裏面。
    ぱっと見表面に見えるので間違いやすいんですよね。
    昔のカードは表面に署名欄がありました。磁気もそちらにあります。

    磁気が弱くなったり、ひびが入ったりして、キャッシュカードを替えざるを得ないこともありますが、このカードに関しては元気ですねぇ。

    20年以上経っていますが、未だに健在ですよ。替えろと言われても替えません(^_^)

    キャッシュカード


    リトル渋谷
    ジョージ・タウン

    土曜日曜と東京に出かけておりました。

    いずれも研修会議で土曜が三鷹市内、日曜が四ッ谷駅付近での開催でした。

    三鷹の会場に一番安く行く方法を考えて実践しました。
    正解は…

    モノレール羽田駅で「土日限定山手線500円切符」を購入し、モノレールに乗り、浜松町からJR山手線に乗って渋谷駅まで(ここまで500円)。それから京王井の頭線に乗って終点吉祥寺駅まで(190円)。
    吉祥寺からは路線バスに乗って三鷹市役所前で下車(210円)。しめて空港から900円です。

    我ながらようここまでやったなぁ、と思います。

    土曜の晩は吉祥寺に宿泊しました。
    吉祥寺は私が高校時代に初めて一人で東京まで行った時に最後に下りた駅。
    近くの井の頭公園に「土佐寮」という学生寮があってそこにいた先輩を訪ねたことによります。

    吉祥寺にまともに訪れたのは大学卒業してからは初めてでした。

    武蔵野市って人口15万人にも満たないのに2倍以上の人口の高知市よりもはるかにに若者で溢れかえっているんですよ。周辺の町から人が集まってくるんでしょうね。
    渋谷の縮小版、というイメージがあるのですが、駅前のちょっとした狭い通りには昔ながらの店もちょこちょこあって風情がありました。

    ホテルは駅前の東急インに宿泊したのですが、マッサージチェアーもあってとっても快適でした

    思い出のオールディーズ
    TWILIGHT TIME(プラターズ~1958年)

    懐かしい歌声が聴こえる。
    夜更けのラジオから流れるあのメロディー。
    若い日の自分を思い出しながらふと、口ずさむ。

    皆さん、こんばんは。思い出のオールディーズ、パーソナリティの吉本修治です。

    この番組も10回目を迎えることになりました。
    今日紹介する曲は1958年の作品で、プラターズの「トワイライトタイム」。

    私が最も好きなコーラスグループの、全米1位に輝いた事もあるナンバーです。
    当時のメンバーは美声のリードボーカル、トニー・ウィリアムス、テナーのデビッド・リンチ、バリトンのポール・ロビ、バンドリーダーで「世界一の低音」と言われたハーバート・リード、紅一点のゾーラ・テイラーでした。

    数あるプラターズのヒット曲で私がこの曲を選んだ理由はその歌詞の美しさにあります。

    Deep in the dark your kiss will thrill me like days of old
    lighting the spark of love that fills me with dreams untold

    の部分が特に気に入っています。
    これほどまでに綺麗に韻を踏んだ歌詞を見た事がありません。
    何と美しい詞なのでしょう。

    しかし、グループの大成功はメンバーの対立を生みました。
    次々にメンバーが脱退し、それぞれが「新プラターズ」を結成しました。
    全米に「プラターズ」という名のグループがたくさんあるのはこのためなのです。

    オリジナルメンバーも1980年以降、次々に亡くなり、現在も活動しているのはプラターズの命名者ハーバート・リードだけとなりました。

    プラターズという大きな看板に翻弄された5人の男女。
    彼等は皆プラターズを愛していました。

    今夜は、皆の結束が熱かった時代の名曲をお聴き下さい。

    トワイライトタイム

    ドジャース名選手列伝
    ジム・ギリアム~ドジャース一筋25年

    ロサンゼルス・ドジャースの永久欠番に指定されている選手・監督は10名。
    その中で、ただ一人、野球殿堂入りを果たしていないのがこれから紹介する、背番号19、ジム・ギリアムです。

    14歳から既にセミプロでプレーしていたギリアムは「ジュニア」のニックネームで親しまれ、1953年、24歳でドジャースでビューを果たしてからもこのニックネームで呼ばれ続けました。

    優しい顔が印象的な選手でした。

    新人ながら2割7分8厘の打率、リーグ最多の17三塁打を記録し、見事新人王に輝きました。
    その後もチームの要として活躍、1964年からはコーチ兼任となりました。
    1966年限りで現役を引退、コーチ一筋にチームを支え続けていました。
    通算打率2割6分5厘、通算安打は1889安打でした。

    しかし、1978年、ワールドシリーズ直前に49歳という若さで亡くなりました。

    経歴よりもその人格で高い評価を受けており、それが殿堂入りせずとも永久欠番に讃えられる一因になったと言えます。
    当時ドジャース監督だったウォルター・オルストンはギリアムに次のような賛辞を贈っています。
    「ギリアムは打力があるわけでも足が速いわけでもない。だが、常にベストを尽くしていた。彼ほどチームプレーに徹する選手は見た事がない。」

    ブログ更新のピンチ
    見たいものは見たいのです

    お気づきの方も多いと思いますが、私のブログのネタは「You Tube」や「ウィキペディア」からの引用・参照がかなり多いです。「思い出のオールディーズ」「ドジャース名選手列伝」「チャップリン映画紹介」などがその代表例です。

    記憶に頼って間違いを書いてはいけないので、どんなネタでも確認してから書くようにしています。
    ということは、私が事務所でブログネタ探しで要する時間って結構長いんですね。
    本人にとってはあっという間の時間なんですが。

    ネタ探しのついでに昨日は「You Tube」で「ドリフ大爆笑」を見まくりました。
    懐かしくてついつい見入ってしまいました。

    今朝、そのことを事務員に話すと、
    「仕事もたまっているのに何見てるんですか!」
    とお小言を食らい、挙句に
    「ドリフ&ルパン禁止令」が出されました。

    ですが、ドリフもルパンも私にとっては見るなと言われても我慢できない作品です。

    何と言われようが見ますぜ。
    今からルパン三世を見るのだ。

    筋肉痛
    やっぱり来たか

    今朝起きて、全身に筋肉痛が襲いました。

    昨日予想していたとおりの結果になりました。
    今も腰が痛いです。
    左手の親指も軽くつき指しています。

    普段使わない筋肉を使い、ヘトヘトになった体は正直です。

    ある人が言っていたのですが、後日やってくる筋肉痛は激しい運動で緊張した筋肉が元に戻ろうとする時に起こるものだそうです。
    だから、若い人は早めに痛くなり、齢をとると痛みが遅れてやってくるとのこと。

    私は知らないですが、医学的にはちゃんとした何らかの理由があるのでしょう。
    でも私はなんとなくこの説に納得しています。

    齢も重ねて痛み回復にはもうちょっと時間がかかりそうです。




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