~うりぼうの独り言~
HPなんて面倒くさい、ブログなんて誰も読まないから書かない、って言っていた私がとうとう始めちゃいました。


プロフィール

uribou

Author:uribou
FC2ブログへようこそ!



リンク

  • 吉本修治司法書士行政書士事務所

  • このブログをリンクに追加する



    カレンダー(月別)

    11 ≪│2007/12│≫ 01
    - - - - - - 1
    2 3 4 5 6 7 8
    9 10 11 12 13 14 15
    16 17 18 19 20 21 22
    23 24 25 26 27 28 29
    30 31 - - - - -



    最近の記事



    最近のコメント



    最近のトラックバック



    月別アーカイブ



    カテゴリー



    QRコード

    QRコード



    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる



    ブログ内検索



    RSSフィード



    スポンサーサイト
    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。


    年賀状と言えば
    プリントゴッコ

    今でこそパソコンで年賀状を印刷している私ですが、このやり方になったのは実は開業後のことで、それまではアナログ的な年賀状を作成していたのです。

    小学生や中学生低学年の時は全て手書き。たくさんのカラーペンを使って一枚一枚丁寧に書いていました。七福神と宝船を書いた時には相手方の親から絶賛されたというエピソードもあります(^_^)。

    そんなスタイルが、我が家に「プリントゴッコ(理想化学工業株式会社の製品)」が来てから一変しました。15年以上に渡り、私は年賀状をプリントゴッコで製作し続けてきました。

    原稿を切り貼りして、フラッシュ撮影。この時の匂いが何とも独特でしたね。
    その後、原稿にインクを乗せて、一枚一枚製作。インクを乾かさないといけないので、部屋中が年賀ハガキで一杯になっていました。
    インクの配分を間違えたり、境目の色がおかしくなったり、人間らしさがにじみ出ていました。

    でも、今のインクジェットの年賀状は素人レベルを超越した何とも綺麗な彩です。
    あっという間に作成できて、とても便利なのですが、何かちょっと違うんですよね。

    パソコンや携帯電話が普及してハガキの位置づけって変わってきてはいると思うのですが、もう少し時間をかけて味のある物を作りたいな、という気持ちもあります。

    まぁ、実際は時間に追われてそうもいかないのですが…。


    スポンサーサイト

    年賀状作成
    何とか終了

    今日は事務所にいた時間のほとんど(といっても遊んでた時間もありますが)を年賀状作成に費やしました。

    私愛用の「筆ぐるめ」のイラスト入りCD-ROMが不具合を起こし、使用不能に

    そこでネットでフリー画像を探しに探してやっとこさ、印刷しました。
    こういうの日記で書くと、もらう側の楽しみが薄れてしまいますけどご勘弁を。

    突貫作業に近い割には綺麗な画像が見つかり、ほっとしています。
    でも、これからポストに投函なので高知市以外の方は元旦到着は無理です。

    私も高校時代、郵便局でバイトをしてたので、わかります。
    今はどうか知らないですけど、元日配達の年賀状は大晦日の夜、バイト少年の家にトラックで運ばれてきます。少年は元日の午前9時に出陣式を迎え、各地に散らばるのです。
    早起きする方にとっては到着が本当に待ち遠しいでしょうけど、寒空の中、食事もとらずに一生懸命自転車を漕ぐ高校生のことを思いやってください

    自分で言うのもなんですけど、皆が休みたい中、健気に郵便物を配達する少年たちは本当にいい連中ですよ。応援してあげましょう

    ちょっといいかも
    阪神往復フリー南風グリーンきっぷ

    こんばんは。数日振りのブログ更新です。
    実は風邪でダウンしており、ブログを書く気力がなえておりました。
    今もまだちょっとしんどいのですが、ブログは復活です!

    この26日に再度、仕事で京都市西京区に行ってきました。
    その時に利用したのが上記の切符です。

    これは高知~岡山がグリーン車、岡山~新大阪が新幹線普通車指定席で往復でき、大阪環状線及び西明石~新大阪間の普通・快速列車が4日間乗り放題で18,700円という切符です。
    私は以前は高知~岡山も普通車指定席の物を利用していましたが、これは16,300円です。
    その差2,400円(土日限定のヤツは15,300円なので3,400円の差にはなりますが)。
    高知~岡山のグリーン料金は片道2,670円なので、どう考えてもぐりーんきっぷはオトクなんですねぇ♪

    体調が良くなかったのでグリーン車にしたのですが、実際使ってみると、なかなか快適でしたよ
    高知~岡山間が2時間30分かかることを考えるとそのメリットは大きいです。
    リクライニングの角度も大きいのでぐっすり眠れますし。

    これからもこの切符を買おう、とは思いましたが、実は南風、グリーン車を設けていない列車が結構あるんですよ(>_<)

    ダイヤを調整しながら購入しなければならないのが難点ですね。

    今日は何の日
    チャップリンの命日

    今からちょうど30年前の今日、チャップリンが88歳の生涯を終えました。

    当時6歳だった私は当然そんなこと知っているはずもなく、むしろ私が生まれた時は存命中だったことのほうが驚きでした。

    話を昨日の続きに戻しましょう。

    私が「街の灯」のシーンでラスト以外に特に気に入っているシーンがあるので紹介します。

    12月31日の朝、少女に大金を持ってきたチャーリーが彼女と別れるシーンです。
    彼女の手に優しく1000ドルを差し出します。
    「お礼の言葉もなくて。」
    と少女は信じられない、という反応をします。
    用事をすませたチャーリーは、すぐに目の手術をするんだよ、と言って帰ろうとします。

    「待って!もう、会えないの?」
    「しばらくはね。」
    「でも、きっと帰って来てくれるんですよね?」
    黙ってうなづき、「グッバイ」と言うチャーリー。その場に泣き崩れる少女。

    チャーリーが物凄く淋しそうな表情をして(もう二度と会えないという覚悟ができていたんでしょう)ドアの向こうに去ります。この時に流れる切なそうなBGMが私の心にぐっとくるんですねぇ

    惜しむらくは、このシーンの後程なくラストシーンがやってくること。もうちょっと余韻に浸りたいなぁ。

    ちょっと優しい気持ちになりたい時、この映画を見て思い切り涙する私がいます。

    言葉ではうまく言えないけど、ホント、ステキな映画ですよ

    「街の灯」考(ラストシーン)
    「あなたでしたの?」
    「見えるんだね?」
    「ええ、見えるようになりました」


    「街の灯」のラストーシーンに流れるあまりにも有名な3枚の字幕。

    公開から75年以上経った今もこのシーンはハッピーエンドなのか悲劇的結末なのか物議をかもしています。

    私もこの映画を初めて見た時、なんて残酷なラストなんだ、といささかショックでしたが、何度も見返し、また、様々な文献や映像を見ることによってこのシーンは美しい、感動的なハッピーエンドであるとの結論に至りました

    この映画ではチャーリーが少女の手に触れるシーンがたくさん出てきます。
    これがラストシーンにつながるわけですが、映像をよく見ると、少女は最後にチャーリーの手を自分の胸元に寄せ、ぎゅっと握り締めています。

    瞼の紳士が哀れな浮浪者であろうが、自分にとってはまぎれもない恩人。
    二度と会えないと思った人に会えた感激。
    これが少女のストレートな気持ちではないでしょうか。

    チャップリンは、街の灯のラストシーンに別の場面を考えていました。
    刑期を終え出所したチャーリーが教会の前を通ると結婚式が行われていた。新婦はあの盲目の花売り娘だった。チャーリーはそっとその場を去る。
    チャップリンはこの案を捨て、街角の花屋で再会するというシーンを採用したのです。

    当時の映画関係者はラストシーンを「感動的な素晴らしいシーン」と言っていますし、チャップリン自身がこのシーン撮影日に私用で早退したチェリルに雷を落としたことを考えると、これはハッピーエンドとの結論になるのです。

    チェリルの失態に失望したチャップリンは、「黄金狂時代」のヒロイン、ジョージア・ヘイルを採用しようと考えました。その彼女と撮ったテストフィルムではジョージアは再会の喜びを顔一杯に表していますし、彼女自身が「あのシーンを演じていた時、私とチャーリーの心は一つにつながっていた。」と言っています。

    結局、ヘイルの再起用はなかったのですが、私はチェリル続投が正解だったと思います。
    彼女の方が清楚に見えますもん(*^_^*)

    街の灯特集は明日で最終回。
    もう少し、うりぼうの独り言に付き合ってやってください。

    「街の灯」考
    試行錯誤を繰り返した不朽の名作

    映画史上、最多のNGを記録した作品と言われているのがこの「街の灯」です。

    完全主義者のチャップリンは少しでも気に入らないと即NGを出す人物でした。
    しかし、NGを恥と感じているので、そのフィルムのほとんどが廃棄されており、撮影時のチャップリンの様子が分かるものがあまり残されていません。

    その数少ないフィルムを見ると「テイク300」とか書かれており、改めて驚嘆したものです

    この街の灯にNGが多かったのは、ヒロインのヴァージニア・チェリルが素人女優(本業はモデル)だったこともありますが、この映画の重要なポイントである、
    「少女が盲目であると観客に分からせるシーン」
    「少女が浮浪者チャーリーをお金持ちだと勘違いしてしまうシーン」
    「視力の回復した少女がチャーリーを自分の恩人と気付くシーン」
    にチャップリンが精神を相当つぎ込んだことが大きな理由と言えます。

    莫大な時間とフィルムを費やして完成した街の灯は1931年2月、世界恐慌の中、公開されました。
    庶民は極貧の生活を強いられていましたが、それでもなけなしのお金を持って、この作品を見に行ったそうです。映画館は長蛇の列ができていました。

    チャップリンはこの作品でも従来の無声映画スタイルを崩しませんでした。

    ただ、無音のままでは、と思い、この作品から音楽を入れるようになりました。
    主題曲の「ラ・ヴィオレテラ」を除くほとんどのBGMがチャップリン自身の作曲によるものです。
    チャップリンは一時期、本気でチェロ奏者を目指していたようですから、作曲も苦にならなかったのですね。

    さぁ、いよいよ明日は感動のラストシーンについて書くことにしましょう

    チャップリン映画紹介
    街の灯(1931年)

    チャップリンの映画の中で、一番私が優しい気持ちになれる作品がこの「街の灯」です。

    「それは1929年10月に始まった」

    映画評論家林冬子がこの作品の月日設定で面白い仮説を立てています。
    ラスト近くで日めくりカレンダーが1930年1月1日を映していることから、イメージが膨らんだそうです。

    これによると、冒頭の銅像除幕式のシーンは1929年10月24日になるそうです。
    チャーリー(映画の浮浪者をこう呼ばせていただきます)と盲目の少女が初めて出会う日であり、チャーリーが自殺しようとした億万長者を助ける日でもあります。

    この日は世界恐慌の日。

    世界恐慌による株の大暴落で失望した億万長者が自殺を企てた、という仮説は説得力ありますが、実際、このシーンは恐慌の数ヶ月前には撮影がすんでいたので、こじつけになります。
    でも、なかなか面白い発想と言えます。

    そして、11月に億万長者はヨーロッパ出張し、年末に帰国します。
    盲目の少女が受け取った滞納家賃請求書の支払期限「明日」というのは12月31日。
    チャーリーが少女にお金を渡し、逮捕される(窃盗罪になるのかなぁ)日も12月31日というわけです。

    そして1930年1月1日の日めくりカレンダーのシーンになるのです。

    その年の秋、刑務所を出所したチャーリーと少女が再会するラストシーンにつながるのですね。

    長くなりましたので続きは明日に。

    越前町エレジー
    不器用男の哀愁

    今日は仕事が終わってから、高知市越前町の司法書士会館で青年司法書士の集まりがありました。

    来年3月に高知で開催される全国青年司法書士全国大会のパンフレットの発送準備作業です。
    3000部を超える封筒・タックシール・パンフレットの山。
    10数名のみんなで共同作業し、2時間30分ほどで無事完了しました。

    で、その時に思ったのですが、
    「私ってセンスないなぁ」
    ということ。

    要するに、シール貼りについて私の分がそれとわかるぐらいきたなかったってことですわ。

    申請書のバランス・体裁には細かいぐらいこだわる私が、仕事以外のことをやらすと、まぁ珍なこと。
    それをしている時は気付かないんですね。後から見てひどいなぁ、って思います。
    たまには途中で気付くこともありますが、後戻りができないのでそのまま。

    私の祖母は93歳の今でもびっくりするぐらい器用なのに、何で孫の私はこんなに?
    コテコテの土佐弁は祖母譲りですが、器用さは遺伝されなかったようです。トホホ。

    行きたかったコンサート
    ルパン三世に憧れて

    今日、高知市の県民文化ホールで大野雄二のライブコンサートが開催されました。
    新聞などで何度も広報されていたので絶対見に行きたかったのですが、今日は研修会があって、泣く泣く断念。だって、その研修の日程決めたの私ですもん

    大野雄二と言えば、誰もが皆知っている「ルパン三世のテーマ」の作曲者。
    テレビドラマの作曲も手がけていますが、やはりこれが一番有名ですね。

    今年はルパン三世のテーマ作曲30周年記念ということでのライブだったそうです。

    ファンとしてはテーマソングだけではなく、「炎のたからもの(映画「カリオストロの城」主題曲)」や「銭形マーチ(とっつぁんのテーマ曲)」も是非この耳で聴きたかった!

    ルパン三世のテーマは4バージョンに分類されます。
    1977年のスタンダード。
    1978年のボーカル・バージョン。
    1979年のフュージョン・バージョン。
    1980年のジャズ・バージョン。

    私はやはり、最後の「ルパン三世'80」が一番好きなバージョンで、毎年日本テレビで放映されるシリーズも「ルパン三世'80」が使用される頻度が一番高いです。
    ジャズピアニストである大野雄二もこれが一番好きなんでしょうね。

    今回見に行けなかったのはとっても残念だけど、また機会があれば今度こそ絶対に行くぞ~

    火曜の夜のささやかな楽しみ
    Gメン'75

    私が毎週火曜の夜11時に見ているCSテレビ番組があります。
    昭和50年から57年にかけて土曜夜9時TBS系列で放送されていた「Gメン'75」です。
    「8時だヨ!全員集合」の後番組としてその流れで見ていました。

    現在の再放送は309話までされています。全355回なのでフィナーレが近いですね。
    で、この回から新しいテーマ・ソングが使われているんですねぇ。
    有名なあのテーマじゃなくなりました。
    ちょっと淋しいなぁ。

    メンバーも大幅に変更されて、これまでのイメージとがらりと変わっています。
    私の中では丹波哲郎、夏木陽介、藤木悠、倉田保昭、若林豪が揃っていた100話頃~200話頃までが印象に残っています

    ヒロインってあまり印象に残っていないですね。
    ただ、再放送を見て、中島はるみが断トツの別嬪さんなのでファンになっちゃいました。
    でも、306話で降板したので残念です

    私が刑事ドラマをよく見るようになったきっかけの番組がこのGメン'75と「太陽にほえろ!」で、この後「噂の刑事トミーとマツ」「あぶない刑事」「刑事貴族」「はぐれ刑事純情派」と続くのでした。

    冬将軍
    寒さが本格的に

    ここんとこ、寒さが急に強くなり、今も電気ストーブに当たりながらこのブログを書いています。

    私は寒さが大の苦手で、それゆえ冬はふとんから出るのが苦痛でたまりません。
    普段、健康のため、私は市内の移動は極力自転車で心がけているのですが、朝10時に事務所から3キロ離れた所へ自転車で行く気になれず、マイカーで移動(@_@)。

    厚手のコートやマフラーを着用していますが、これでは顔はガードされないので、風が吹くと大変です。よく涙を流してました(笑)。

    まだ、12月なので寒さが本格的になるのは先なのですが、それを思うと憂鬱な毎日です。

    早く春が来ないかなぁ~。

    チャップリン映画紹介
    サーカス(1928年)

    チャップリンと言えば、無声映画の王様、といった印象を受けるでしょう。
    彼の作品はせりふではなく、動作で人々を笑いの渦に引き込みました。
    「私がせりふで笑わせようとしても、英語の分からない人は笑ってくれないじゃないか。」
    これがチャップリンがパントマイムにこだわる最大の理由でした。

    しかし、時代の流れか、世界初のトーキー映画「ジャズ・シンガー」が大ヒットすると、映画界はこれまでのサイレントから一気にトーキーに変わりました。せりふの言えない俳優は失業しました。

    この時代の流れに逆行して作られたのが、「サーカス」でした。
    サーカスを見るのにせりふはいらないでしょ、というチャップリンのメッセージがこめられています。

    私は中学生時代にこの映画をNHKテレビで弟と一緒に初めて見たのですが、二人して腹を抱えて大笑いしました。笑いすぎてお腹が痛くなると言うのはなかなかないですよ。

    しかし、ラストのクライマックスの綱渡りのシーンで、チャップリンが一切スタントを使っていない事実には脱帽しました。命綱をつけずに、あんなシーンをするなんて、もう喜劇俳優のすることじゃないです。
    完全主義者のチャップリンは綱渡りの練習を人知れずしていたそうですが、本当に固唾を飲みます。

    余談になりますが、チャップリンはこの映画のヒロイン、マーナ・ケネディと浮気したとして当時の妻リタ・グレイと離婚、莫大な慰謝料を請求され、人間不信に陥りました。綱渡りのシーンに出てくる、チャップリンにいたずらをする猿はリタとリタの母親を暗示している、という評論家もいます。

    あと、映画の冒頭で歌を歌っているのはチャップリン自身です。

    まだご覧になっていない方、この映画を見て思い切り笑って思い切りハラハラしてください。
    そして、チャップリンらしいラストに感動してください。

    夜行バス
    ふとんがいいね

    14日の夜、仕事で京都に行ってまして、その帰りに夜行バスに乗りました。
    15日朝から会議があるため、それに間に合わせるためです。
    宿泊&飛行機でも良かったのですが、それだと早起きしなければならず、費用のことを考えてこれにしたのです。あと2週間遅ければ、京都~高知直通の夜行快速「ムーンライト高知」があったんですけどね。ちょっと残念です。

    依頼者と別れたのが21時30分でしたから、この時点で京都発の夜行バスはアウト。一目散に阪急桂駅へ。
    ちょうどのタイミングで梅田行きの通勤特急がやってきて乗り込みました。
    停車駅が少ないこともあり、約35分で梅田到着。
    ちょっと迷って無事大阪駅バスターミナルに着きました。

    22時40分、京都からやってきた須崎行きの夜行バスに乗り、いざ高知へ。
    へとへとだからすぐ寝られるだろう、と思ったものの、車内が明るく、目をつぶった程度。
    三宮で最後の乗客を乗せ、やっと消灯。

    さぁ、寝るぞ、と思った矢先、あちこちから聞こえるイビキの音。

    え~、勘弁してよ。

    思うように寝られないまま、翌午前6時にはりまや橋到着。一旦家に帰ってシャワーを浴び、午前10時の会へ。

    いやぁ、参ったし、疲れた。

    会議中どうだったって?ご想像通りですよ。

    会議の前日はふとんで寝ましょう。

    思い出のオールディーズ
    LOLLIPOP~コーディッツ(1958年)

    懐かしい歌声が聴こえる。
    夜更けのラジオから流れるあのメロディー。
    若い日の自分を思い出しながらふと、口ずさむ。

    皆さん、こんばんは。思い出のオールディーズ、パーソナリティの吉本修治です。

    今日紹介する曲は1958年の作品で、女性4人組コーラス、コーディッツの大ヒット曲「ロリポップ」。

    今もキリンのCMソングに使用されているおなじみの曲ですが、私はこの曲を聴くと真っ先にミスター・ドーナッツを連想します。

    昔のミスドはパッケージもオールディーズ色が濃く、店内にもオールディーズばかりが流れていました。そんな雰囲気が少年ながら私は大好きでした。
    その中でもとりわけ「ロリポップ」が印象深い一曲だったわけです。

    大学時代、バンドサークルに属していた私はこの曲を一度だけライブでやったことがあります。
    といっても私のパートは、オープニングとエンディングの手拍子、人差指で唇を弾いて「POP!」と鳴らし、「ボボン、ボンボン」といったバックコーラスですが。

    懐かしさがこみ上げます。

    それでは、お聴き下さい。

    http://www.youtube.com/watch?v=3rYoRaxgOE0

    一夜漬け
    ぶっつけ本番!

    今日は成年後見関係の仕事で高岡郡四万十町(旧窪川町)に行ってきました。
    午後1時半から午後4時半まで障害者施設で勉強会があり、リーガルサポート高知支部が講師として呼ばれている関係で支部長である以上、私がやらんといかんでしょうと思い、1時間ばかししゃべってきました。

    講義内容は「法人後見の実際」。

    私自身法人後見はやったことないのに~どうしよう~、とは思っていたのですが、白羽の矢が立った以上、法人の顔に泥を塗るわけにはいかず、昨夜、ほぼ一夜漬け(といっても小一時間でレジュメは作成しましたが)で今日の講義内容について予習をしました。

    資料を作成し終えたものの、「1時間与えられているけど、30分で終わるかも。」とかなり心配しました。
    でも、私が講義を始めてしまうと、もう後に引けません。思いつくままに口を開きました。

    途中、法人後見の危険な点について語り始めた時、無意識にヒートアップして時が経つのも忘れて熱くなりました。
    気付いたらちょうど持ち時間の1時間が経過しようとしていました。

    我ながら、一夜漬けに等しい予習でよくもここまで話せたものです。
    あ、決して手を抜いたわけじゃないですよ。
    いろいろな文献を読んだ上でお話してますから。

    ただ、資料が少なく、あっと言う間に読み終えたのは事実ですけど。

    癒しキャラ
    玄関先で

    うちの事務所の入口にスリッパ立てが置いてあります。
    本当に目立たないところにありますが、実は平成15年の事務所開設時からずっと置いてあるんですねぇ。

    元々は私の実家のスリッパ立てとして使用されていましたが、事務所に華を持たせようとしたのがきっかけです。

    よく見てください。
    立てかけてあるスリッパもワンちゃんの絵です。

    普段もなかなか見ることがないのですが、ふと眺めた時、日頃の疲れを癒してくれます。

    熊、猫、犬と来ました。

    次はどんな動物が登場するのかな?


    チワワ



    ドジャース名選手列伝
    ジャッキー・ロビンソン~黒人選手の先駆者

    130年を超える歴史を持つ大リーグですが、大きな転換期と言えば1900年のア・リーグ成立と、1947年の一人の黒人選手の入団と言えるでしょう。

    彼の名はジャッキー・ロビンソン。
    1919年、人種差別の激しい南部のジョージア州に生まれました。
    「私の祖父は奴隷だった。」後年、彼はこう語っています。

    大学時代から野球の才能に長け、ニグロ(黒人)・リーグに参加。ここでドジャース会長ブランチ・リッキーに口説かれ、随分悩んだ末にドジャース入団を決意しました。

    周囲からは毎日おびただしい数の脅迫や野次が飛んできましたが、彼はこの苦難に耐え、自分の才能を遺憾なく発揮、見事盗塁王を獲得し、この年から制定された新人王の初代受賞者に輝きました。

    ロビンソンのプレーは数字に見えないところで相手にプレッシャーを与えています。
    出塁してリードを取る時、小刻みに足を動かして、相手投手の集中力を失わせたり、一塁から三塁、二塁から本塁へのランニング&スライディングが抜群でした。

    ロビンソンの活躍を受けて、チームには続々と黒人選手が入団し、ドジャースは毎年ワールド・シリーズを狙える強豪に成長していくのでした。
    実際、ロビンソンの現役時代の1947~1956年で6度、リーグ優勝を果たしています。ドジャースが10年間で6度優勝したのは後にも先にもこの時だけです。

    1956年、現役引退後は公民権運動に尽力し、大リーグに顔を出すことはほとんどなくなりました。

    1972年に心臓病で53歳の若い生涯を終えました。

    しかし、彼の名はいつまでも色あせることなく、1987年に「新人王」が「ジャッキー・ロビンソン賞」と名前が変わり、1997年には全球団で彼の背番号42番が永久欠番となりました。
    来日するプロ野球の黒人助っ人が、日本人は忌み嫌う背番号42を付けたがるのはここに理由があります。

    他人の生き方に影響を与えてこそ、人生は意味を持つ。(墓石の言葉より)

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%93%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3

    忘年会シーズン
    これから多くなりますねぇ

    昨日は神田事業主協会の定時総会と懇親会(忘年会)がありました

    司法書士を開業して数ヵ月後に加入した任意団体であり、私にとっては「ふるさと」みたいな感じの団体です。メンバーの方と話していてもふっと安らぐんですよねぇ。

    懇親会費は年会費から賄われること、宝くじがプレゼントされるので、とっても楽しみなんです。総会で毎年のように「当たったら我が協会に寄付を」と言われ続けていますが、当たらないですね~。
    数百枚配られるんでこの中に一枚ぐらい大当たりがあってもいいのに、なんて思うのですが、なかなか現実は厳しいです。

    さてさて、どうなりますやら。
    でも、万が一当たってもこのブログでは言いませんからご了承下さい。

    昨日は二次会、三次会と続き、最後は協会の方のご自宅に招かれ、ワインを飲みながら語り合いました。


    路面電車
    僕等のとでん

    34歳までマイカーを持っていなかった私にとって、公共の乗り物に乗ることは日常茶飯事でした。

    この前、出雲に行った時も、事務所から高知駅までの交通手段は路面電車でした。

    鏡川の南に住んでいる私にとっては、路面電車は滅多に乗らない乗り物で、少年時代は「街の住民の乗り物」という一種の羨望みたいな感情がありました。

    今の事務所は電停から5分のところにあるのでお酒を飲みに行く時など、たびたび利用しています。10月には南国市の「東工業前」から事務所近くの「上町五丁目」まで10キロ以上も乗りましたよ。JRと比較すると時間がかかる上に運賃も高い(450円)のですが、それはそれで路面電車ならではの趣がありました。

    この12月2日はキャンペーンをやってて、運賃が100円(通常は190円)でした。何も知らずに乗ったから、ちょっぴり嬉しくなりました。

    100年以上の歴史を持ち、現存する路面電車としては日本最古の土佐電鉄。

    これからも、私は「とでん」に乗り続けることでしょう。

    不在の一日
    やっと帰ってきました

    今日は朝出勤した後、9時前には事務所を出ました。
    そして事務所に帰ってきたのが午後7時前。

    行き先は香南市と香美市。
    高知市近郊に出かけただけでこんなに長時間、事務所に不在だったのは記憶にありません。

    仏滅でしたが、午前に不動産取引があり、午後は香美市役所で会議。
    案の定、事務所に帰ってきたら机の上が書類の山でした(>_<)

    で、その書類を触る前にこのブログを書いておこうという訳なんですねぇ(*^_^*)

    市外で取引と言うのは結構大変なんですよ。
    取引現場ではんこや書類をもらうわけですから、コピーや綴じ込み作業に追われますからね。

    今日の取引は、
    ①所有権更正②根抵当権抹消③根抵当権抹消④所有権移転⑤所有権移転でした。

    途中のコンビニでコピーを取って(こういうのあまり好きじゃないですけど背に腹は代えられません)、法務局で綴じ込み。
    無事申請できたのは正午15分ほど前でした。

    午後の会議が長引いて、南国市役所に寄れたのは午後5時直前のギリギリセーフでした。

    昼寝したから今日は体力が持った、そんな感じの一日でした。

    山陰紀行
    出雲大社へ

    12月1、2日と司法書士新人研修実行委員会で島根県出雲市へ行ってきました。
    実行委員会は中国四国の9県が合同で行うもので、各県から2名の実行委員で構成されています。
    私達が「蟹を食べたい」ということと、島根会の2名が共に出雲市民であったことから、ここでの開催となったわけです。

    特急南風とやくもを乗り継いで行ったのですが、とにかく遠かった!!
    高知駅発朝8時で出雲市駅着14時5分(定刻より15分遅れ)ですよ!

    会議の時間より列車に乗っている時間の方が長かったですもん。

    夜は市内の店で蟹三昧。ホンマ、よく食べました。
    この後2次会、3次会と飲んで当然午前様

    翌日の会議終了後は希望者10名で出雲大社へ

    初めての出雲を謳歌してきました。
    でも、ちょっと寒かったなぁ。

    で、高知駅に帰り着いたのが20時30分。
    見事に土日が完全につぶれました。

    その反動が今日出ています。ヘナヘナ

    出雲大社






    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。