~うりぼうの独り言~
HPなんて面倒くさい、ブログなんて誰も読まないから書かない、って言っていた私がとうとう始めちゃいました。


プロフィール

uribou

Author:uribou
FC2ブログへようこそ!



リンク

  • 吉本修治司法書士行政書士事務所

  • このブログをリンクに追加する



    カレンダー(月別)

    09 ≪│2007/10│≫ 11
    - 1 2 3 4 5 6
    7 8 9 10 11 12 13
    14 15 16 17 18 19 20
    21 22 23 24 25 26 27
    28 29 30 31 - - -



    最近の記事



    最近のコメント



    最近のトラックバック



    月別アーカイブ



    カテゴリー



    QRコード

    QRコード



    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる



    ブログ内検索



    RSSフィード



    スポンサーサイト
    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。


    来年があるさ(感動編)
    来年まで待たなくていいんだね

    待望のWS制覇を果たしたドジャース軍。もちろん、ブルックリンの町をパレードしましたが、市民の熱狂的祝福を受けたのは言うまでもありません。

    貧民層が多く、また、ニューヨーク市に19世紀末に編入されたということから、ブルックリンの人々はブロンクスやマンハッタンの住民に対して劣等感を持ち続けていたのです。

    いつもヤンキースやジャイアンツのパレードを指を咥えて眺めることしかできなかった彼らが、「おらがチームが世界一」ということで感極まったのは当然のことでした。

    「WAIT TILL NEXT YEAR」に対して「THERE IS NO NEXT YEAR」のプラカードを掲げた住民がいました。
    その熱狂振りは昭和60年の阪神タイガースの日本一とは比べ物にならない、と言う方もいます。

    翌1956年、リーグ優勝を果たしたドジャースは再度ヤンキースとWSで対決します。
    しかし、第5戦でドン・ラーセンにWS唯一の完全試合を食らい、最終戦もワンサイドゲームで敗退。2年連続世界一はなりませんでした。

    この年のシーズンオフ、ドジャースは初来日しました。
    一番人気のジャッキー・ロビンソンが後楽園球場で国鉄スワローズの金田正一からホームランを打ちました。
    しかし、これがジャッキー・ロビンソンの現役最後のホームランだったのです。

    ブルックリン・ドジャースはその時代を終えようとしていました。
    スポンサーサイト

    来年があるさ(白熱編)
    遂に世界一!

    「来年があるさ」シリーズは最初は2回で終わらそうとしてましたが、書き出すと止まらなくなったので全部で5回にわたって書きますね!

    1955年、ドジャースは開幕ダッシュに成功し、連勝街道を走り続け、終盤まで衰えることはありませんでした。
    これには宿敵ジャイアンツの本拠地、ポロ・グラウンドで試合をした時、ワールドチャンピオンフラッグがドジャースナインの目に留まり、「今度こそ自分達が」の思いがいっそう強くなり、闘志に火がついたことが大きな原因となっているようです。

    9月早々にリーグ優勝を決め、月末のWSでヤンキースと因縁の対決が始まりました。
    しかし、初戦と第2戦を連敗。ブルックリンのファンは早くも「来年があるさ。」と諦め始めていました。

    しかし、本拠地エベッツ・フィールドに帰って来てからは、怒涛の3連勝で史上初の世界一に王手をかけました。
    第6戦はヤンキースが雪辱し、最終戦にもつれ込みました。

    この大事な試合の先発はジョニー・ポドレス。第3戦の勝利投手はファンの期待に見事応え、ヤンキース打線を完封。守備ではサンディ・アモロスのスーパーキャッチが飛び出し、打ってはいぶし銀ギル・ホッジスが全打点を一人でたたき出す活躍。2対0でドジャースが勝利し、球団史上初のワールドチャンピオンに輝きました。
    8度目の挑戦で遂にドジャースは頂点に立ったのです。

    1955年10月4日のことでした。

    来年があるさ(続き)
    何でドジャースだけが…

    こんにちは、3日ぶりですね。
    今年のWSはレッドソックスの4連勝であっけなく終わりました。

    さてさて、話を元に戻しましょう。

    1951年の悪夢はブルックリンの人々に暗い影を落としましたが、ドジャースナインは今年こそは、と奮起し、1952年と1953年、2年連続でリーグ優勝を飾りました。しかし、WSではどうしてもヤンキースに勝てません。これでピンストライプ軍団はWS5連覇を達成しました。ドジャースのWS連敗記録は7にまで伸びてしまいました。

    「来年があるさ」ブルックリンの人々はこう自分に言い聞かせていました。

    1954年は宿敵ジャイアンツが優勝、しかもWSではウィリー・メイズが超ファインプレー「ザ・キャッチ(たっちじゃないよ、ちょっとちょっと)」を披露し、4連勝で世界一。
    これにはドジャースファンは羨望を禁じ得ませんでした。
    「これでジャイアンツは5度目のワールドチャンピオンだ。なのに、どうしてドジャースはまだ1回もチャンピオンになれないんだ…

    そういった雰囲気の中で1955年のペナントがスタートしました。

    続きは明日♪

    来年があるさ
    WAIT TILL NEXT YEAR

    大リーグ、ワールド・シリーズ(以下WSと書きます)はレッドソックスが連勝したとのことですが、ドジャースが初めてWSに出場した1916年の対戦相手がレッドソックスでした。

    1901年に二リーグ制になってから1945年まででわずか3回しかWSに出場できず、全て敗退したドジャースは、1947年、黒人ジャッキー・ロビンソンが入団してからは毎年リーグ優勝を狙える強豪にのし上がりました
    その年と1949年にWS進出を果たしたものの、いずれもヤンキースに敗北。ブルックリンのファンは煮え湯を飲まされ続けました。

    1950年の最終戦は、首位フィリーズと直接対決で、ドジャースが勝てば同率によるプレーオフという大事な試合を落としました。

    1951年は首位を独走していたのですが、宿敵ジャイアンツに13.5ゲーム差を追いつかれ、まさかのプレーオフ。第3戦でラルフ・ブランカ(ロッテのボビー・バレンタイン監督の義父です)がボビー・トムソンに「球音は世界に響き渡った」と言われる逆転サヨナラホームランを打たれ、ジャイアンツに優勝を奪われました
    これはドジャースペナント史上最大の悪夢と言われています。

    こんな背景からブルックリンの人々は「来年があるさ。」と口ずさみ、いつしかWSチャンピオンを夢見ていたのでした

    続きはまた今度しますね。

    成年後見三昧
    振り返れば後見

    今週は成年後見の仕事に没頭しています。
    というのも、家庭裁判所から「いい加減に報告書を出して下さい。」と督促を受けたからで、リーガルサポート支部長としてこれ以上組織に迷惑をかけるわけにもいかず、「今週いっぱい待ってください。」とお願いしているところです。

    でもその努力の甲斐あり、ようやく報告書を仕上げました。
    厳密に言うと十分ではないのですが、家庭裁判所に対する義務は果たせたレベルにはあります。
    でも、本当に頑張ってくれたのは事務員なんですけどね

    で、今日は夜6時半から成年後見に関する会議があって、私が先日のオランダでの国際会議の報告をしました。
    皆思った以上に興味深く聞いてくれたのでとても満足しています。

    明日は報告書を提出すれば地獄の一週間から解放です♪

    ANAマイラーとして
    Edyで地元企業を援助

    このブログでは初めて紹介しますが、私のささやかな楽しみの一つに「ANAのマイルを貯める」というのがあります。
    塵も積もれば山となる、今やアメリカ合衆国を往復できるまで貯まりました。

    ANAマイルを貯めるのにもってこいなのがEdyの利用。
    今更言うまでもないですよね。

    ですが、Edyを使える店というのは結構限られていて、食料品はコンビニを利用せざるをえませんでした。

    ところが、最近、地元企業の「サンプラザ」がEdyが使えるようになったんですよ!
    サンプラザは私の母の故郷土佐市に本店を置くスーパーです。
    土佐市民の血が半分流れている私がサンプラザで頻繁に買い物をするようになったのは言うまでもありません。

    最近、人口が市制施行後初の3万人割れを起こし、暗いニュースの流れる土佐市に少しでも経済援助をしようとしている一小市民でありました。


    オランダ紀行その10(最終回)
    アンネ・フランクの家

    10回にわたってお送りしたオランダ紀行も今日でおしまい。
    最終回の今日は、アンネ・フランクの家をご紹介しましょう。

    アンネの家はアムステルダムの中心地、ダム広場の少し西にあります。

    「混むから」と聞かされていたので朝一に出かけたのですが、「まだ開いていないのでは」と思うぐらい、人影はまばらでした。

    日本語のパンフレットを片手に中を見学。

    言葉ではうまく伝えられませんが、私の今回のオランダ旅行で、一番ここへ来てよかった、と思う場所でした。

    アウシュビッツの大虐殺は皆さんは、よくご存知だと思います。
    私も映画「シンドラーのリスト」を見て、わかっていたつもりでした。
    しかし、連行者名簿を見た時、ものすごい衝撃が走ったのです。
    わずか8歳の少年の名前がありました。
    ナチスはこんな幼子までも容赦しなかったのです。
    私が見ているのは映画の小道具ではありません。
    アウシュビッツはフィクションではなかったことをまざまざと見せ付けられたのです。

    ものすごい重い雰囲気ながらも平和の大切さを痛感しました。
    約1時間の見学の後、外へ出てみると閑古鳥の鳴いていた入口は長蛇の列ができていました。

    平和を願う気持ちに国境はないのです。
    こんなにも多くの人々が平和のありがたさを感じようとしている、私の目頭はいつの間にか熱くなっていました。

    皆さん、オランダを訪ねたら是非アンネ・フランクの家に足を運んでみてください。きっと、そこでしか得られない感動を手にすることができるでしょう。

    これにてうりぼうのオランダ紀行は一件落着。
    お後がよろしいようで~

    アンネ・フランクの家



    オランダ紀行その9
    オランダでの会話

    オランダでの公用語はもちろんオランダ語です。
    ちょっと見聞きすると、ドイツ語に近い感じを受けます。

    ですが、オランダ語はイギリスを除く欧州諸国の中で最も英語が通じるといわれています。
    実際、オランダ語が全くだめな私が一人でアムステルダムで買い物ができたのもこれが大きかったのです。

    東にドイツ、南西にフランスを構えるオランダはその昔、ナポレオンやヒトラーの侵攻に遭いました。この忌まわしい思いがあるからドイツ語やフランス語を話そうとしないのです(もっとも、オランダ南部はかなりフランス語に近い言語らしいですが)。

    オランダの人口は約1600万人。国土が狭いこともあり(九州より少し広いぐらい)、欧州の中では少ない部類に入ります。
    だから、外国人がオランダ語を見聞きする機会は少なく、必然的に英語が共通語のようになったのです。
    実際、大多数のオランダ人は流暢に英語を話しますよ。

    それに引換え、私の英語力ときたら…

    オランダ紀行その8
    集団迷子事件発生!

    オランダから日本へ帰る前日のことです。
    アムステルダム以外の街へ行こうということになり、ユトレヒトとライデンに行くことにしました。

    コーディネーターの方がレンタカーを借りてきてくれ、皆で乗り合わせてのドライブでした。

    あたりに広がるのどかな牧場、そしておなじみの風車、日本にはない素敵な光景がいつまでも続いていました。

    ライデンは日本に西洋医学を伝えたシーボルトゆかりの都市で、博物館は日本語のガイドマップをはじめ、日本が満ち溢れていました。

    一行から「城壁へ行きたい。」との要望がありましたが、駐車場の問題から、コーディネーターの方が「僕はここで待ってますよ。」とおっしゃってくれました。
    それが悪夢の始まりだったのです…。

    城壁は16世紀にスペイン軍が侵攻した時、市民がこの城壁内に篭城し、激しい飢えに耐えながら、遂に街の堤防を破壊させてスペイン軍を破った舞台であります。

    ここへ到達するのに散々迷い、目印をつけずに行ったのです。

    さぁ、帰ろうとしたけど、どこで車を降りたか誰もわからなくなりました。8人のいい年をした大人が全員迷子です。

    やっとのことでコーディネーターと連絡がつき、再会出来たのは待ち合わせ予定定時刻の約50分後。アムステルダムのレンタカー返却時刻の10分前でした。
    40キロも離れたライデンから当然間に合うはずもなく、散々な道中でした。

    でも今は笑い話です

    校友会総会
    年に一度の

    今日は平成19年度青山学院大学校友会高知県支部の総会日でした。
    私は裏方をやらされているので、総会ではゆっくりする時間がほとんどありませんでした。
    お酒も食事も気持ち程度口にしただけです。

    参加者は前年度を下回り、ちょっぴり淋しいものとなりましたが、本部の「高知県支部は全国でも指折りの活発な地域ですよ。」との声をいただきましたのでこれを励みに頑張りたいと思います。

    青山学院大学はスポーツに力を入れていますが、今日箱根駅伝の予選敗退の知らせを聞いて皆大変残念がりました
    だって今日の予選会ではギリギリ当選の9位だったのに、インカレの成績が悪いということでポイントで法政大に逆転負け。
    落胆する選手達の写真を見て物凄く胸が痛みました

    この悔しさを来年に生かせよ!

    オランダ紀行その7
    国際司法裁判所

    最近ご無沙汰でしたオランダ紀行再開します。

    今回はハーグへ行った時のスナップを紹介します。
    ハーグはアムステルダム南西の海岸に面した人口約50万人のオランダ第3の都市ですが、オランダの霞ヶ関、永田町とでも言うべき町で政府の中心機構はこの町に集約しています。

    司法を生業としている私にとってここハーグにある国際司法裁判所は是非訪れたい場所でした。

    流石に中は撮影禁止なので詳細を紹介することはできませんが、格式高き風潮に満ちていました。

    合成のように見えますがちゃんと行ってますよ

    国際司法裁判所



    チャップリンの名言
    人生は夢と勇気とサムマネー

    私が天才と呼ぶ映画俳優、その名はチャールズ・チャップリン。

    そのほとんどの作品を見、ビデオも持っているほどの熱狂的ファンです。
    単なる喜劇俳優ではなく、ペーソスを常に持ち合わせており、それが私の心を強く打ち、いつまでも色褪せることなく脳裏に焼き付いています。

    見出しに掲げたセリフは1952年の「ライムライト」という作品の中で人生に絶望した少女にチャップリン扮する道化師が励ますシーンで使われた言葉の翻訳です。
    実際のセリフとはかなり違っていますが、日本人向けに五七五で書かれているので耳に残るんですよね。

    この言葉を糧に明日も頑張ります!

    (実際のセリフ)
    「恐れを持たなければ人生はすばらしい。大切なのは勇気、想像力、それと少しのお金。」

    ワールドシリーズ
    ドジャースが出なければ…

    ご存知の方も多いと思いますが、今年のMLBはコロラド・ロッキーズがナ・リーグ優勝を飾りました。
    1993年の球団創設以来初のワールドシリーズ出場とのこと。

    おめでとうございます、といいたいところですが、ドジャースファンとしては悔しい!!の一言。

    だって同じナ・リーグ西地区ですよ。しかも今年はドジャースは開幕ダッシュでプレーオフ進出間違いなしのペースだったのに、終盤大ブレーキがかかり、結局4位ですもの。
    過去10年を振り返ると、アリゾナ・ダイヤモンドバックス(2000年世界一)、サンフランシスコ・ジャイアンツ(2002年ナ・リーグ優勝)についで西地区から3チーム目のワールドシリーズ進出です。
    我がドジャースは1988年を最後にワールドシリーズは無縁。
    歴史ある球団がこれじゃ淋しい限りです。

    来年こそ20年ぶりの世界一を目指してくれ~!!

    記念すべき初めての
    商業登記オンライン申請

    以前からやろうやろうと思っていたのですが、機会を逸し続けていました。
    遂に今日初めてトライしてみました。

    パソコン音痴の自分がちゃんとできるのかどうかドキドキでしたが、電話でアドバイスを受けながら無事申請完了!

    後は添付書類を郵送すればよいのです。実際「案ずるより産むが易し」でした

    ただ補正があるとカッコ悪いですけどね…。

    今回うまくいったら今度からはオンライン申請がメインになるりそうです。特に日にちにこだわる設立や資本増加は、結構ギリギリに依頼がありながらせかされるので、もってこいではないでしょうか。

    商業登記申請をオンラインで励行し続けることによって司法書士の職域は意外と簡単に守られるかも知れませんね。


    飛騨紀行最終回
    走行距離1000km

    私達が着いたペンションは「SWEET CANDY」という名の洒落たものでした

    小じんまりしていながらも、とても暖かみのあるペンションでした。
    普段ビジネスホテルやシティホテルばっかりに宿泊している私にとってはたまにはこういう場所もいいかもしれませんね

    チェックアウトの8日は小雨降る肌寒い一日でした。
    後はひたすら伊丹空港に向けて車を走らせるだけです。

    何とか無事伊丹に到着し、台湾代替旅行は幕を閉じました。
    何のプランもなくよくここまで楽しめたなぁ、というのが率直な感想です。

    でも今度こそ台湾に行きますね!まだちょっと先だけど。

    ペンション SWEET CANDY
    http://www3.ocn.ne.jp/~candy20/

    札幌一泊二日
    今回はまっこと冷やかった!

    昨日今日とまたまた札幌に行ってました。
    今回は全国青年司法書士協議会の代表者会議にオブザーバーとして参加したものです。
    会場は北海道大学でした。広かったですよ~。芝生も青々とあっていいキャンパスでしたね。

    でも、寒がりの私には札幌の気温は辛い!
    今朝は道東で初氷が観測された(すなわち最低気温が氷点下)になったところもあるそうです。

    今回はグルメツアーはさほどありませんでしたが、今日の昼は二条市場で鉄火丼、新千歳空港でまたまた塩ラーメンを食べました。
    今も満腹ですが、土産に買うたチーズオムレツを食べました。
    甘いものは別腹です

    世界遺産へのいざない
    美しき日本の風景

    10月7日、金沢を後にした我々は富山県南部の五箇山へ向かいました。
    昔ながらの合掌造の家々が並ぶ地区です。

    この地区は民謡「こきりこ節」の舞台。小学校の音楽の授業で日本の民謡を学ぶ課目があり、取り上げられていたのがこきりこ節でした。
    今でもソラでうたえますよ

    五箇山の後は岐阜県北部の白川郷。
    写真にも出てくる超有名スポットです。

    最寄のインターへ下りた瞬間から大渋滞!!
    我々の認識が甘かったのかなぁ。
    6時までに今日の宿泊先に着きたかったのでちょっとイライラでした。

    それでも何とか駐車でき、白川郷を満喫しました。
    目の前で黙々と農作業をするお婆さん
    忘れかけた日本の美しい光景を垣間見ることができました。

    その後は宿泊予定の鈴蘭高原(高山市)のペンションへ。
    え?泊まれたかって?前日にちゃんと予約してましたよ。

    辺りはすっかり暗くなり、街灯もあまりない中、よく迷わず着けたものです。

    続きはまた来週(^_^)/

    加賀の湯けむり美人
    いい湯だな~\(^o^)/

    東尋坊を後にした我々に残されていた課題は

    「どこ泊まる?」

    ガイド片手にいろいろ電話しましたが、3連休でどこも満室。
    さぁいよいよ困ったよ~ってことで最後の望みで金沢の手前の徳光PAへ寄り情報収集です。

    努力の甲斐あってようやくホテルを確保♪

    安心した我々は一路兼六園へ。
    私は金沢行きは高校の修学旅行以来だからほぼ20年ぶりです。

    ライトアップされた兼六園もまた乙なものでした。
    畳の部屋は心地よかったですねぇ、癒されました。

    宿泊したホテルはルートイン、ようやく一周年を迎えたということでとても綺麗なホテルでした

    美味しい郷土料理を食べ、ホテルへ帰れば大浴場
    旅の疲れを癒すのには最高デス

    関空から金沢まで車で大移動でした。
    もちろん、ぐっすり眠ることができました。

    (注)タイトルは本文とあまり関係ありません(笑)

    薄暮の東尋坊
    きれいだなぁ~

    台湾行きを断念した我々一行は、レンタカーを借りて(後で聞いたのですが借りられたのは奇跡でした)北陸に向かいました。

    最初に訪れたのは福井県北部の東尋坊。夕方5時頃でした。実は私は東尋坊ははじめて。テレビでよく見るあの断崖絶壁が広がっていました。

    太陽が西の空に下りていく光景は素敵でした。あの素晴らしさは残念ながら写真では伝わりません
    おそらく私が見た綺麗な夕日の三本の指に入るのではないでしょうか。

    一度足を運んでみてください。


    東尋坊



    北陸飛騨紀行
    台風のおかげで

    この6日から実は友達らと4名での台湾旅行を計画しておりました。
    準備も整えて関西空港に飛び立ちました。

    でも、でも…。

    ご存知の通り、猛烈台風15号が我々の行く手をさえぎりました。
    覚悟はしてましたが、10時30分に成田発の便が欠航と発表され、我々の便もいつ飛ぶか分からんと言われると、流石に希望的観測も持てなくなりました。

    我々4人に迷いはありませんでした。

    行き先変更!!

    オランダ紀行もまだ途中ですが、北陸飛騨紀行から順次話を進めてまいりましょう

    続きは明日♪



    オランダ紀行その6
    なんて素敵なホールなんだ!

    音楽好きの私ではありますが、今回、同行者から初めて教えてもらったコンサートホール、それが「コンセルトヘボウ」です。

    クラシックコンサートです。
    演目はドビュッシーの「海」とベートーベンの「田園」でした。
    生まれて初めて指揮者の表情の見える後方席から聴きました。

    素敵でしたよ♪
    さすが、世界の三本の指に入るといわれたホール。
    ここで演奏できる人って幸せなんだろうな~って思って聴いてました。

    自分の腕ではとてもとても演奏なんて無理です

    でも一度お聴きになる価値はありますよ


    オランダ紀行その5
    オランダ交通事情

    オランダ紀行はまだ終わっちゃいないよ

    アムステルダムの主な交通手段は「トラム」と呼ばれる路面電車。
    これが高知の路面電車とかなり事情が違って乗りこなせるには時間がかかりました(>_<)。

    車掌が乗っている場合は問題ないのですが、ワンマンカーの時はあたふたです。
    切符を買おうとしたら「券売機で買うてくれ。」
    で、そこへ行くと紙幣が使えないじゃないですか、おいおい。

    オランダ人は普通、事前に回数券を購入し、それにスタンプを自分で押して乗るそうです。
    降りる時は自分でボタンを押してドアを開けます(高知は自動なのに)。
    運賃は前払制なので降りる時はホント勝手です。これじゃ無賃乗車できますよ、って感じです。

    国鉄も改札がないです。だから、目的地まで切符を購入し、後は乗るだけ。私の時は検札がなかったですよ。大丈夫なのかしら、とは思いましたね。
    私は二等車に乗りましたが、なかなか快適でしたよ。新幹線普通車並みのゆったりさでした。

    無料相談会
    へとへと~(>_<)

    今日は全国一斉無料相談の日。10月1日が「法の日」であることにちなんで毎年高知市役所で開催されています。
    私は中央支部(高知市)の副支部長をしている関係で朝から終了まで裏方に。

    でも正直こんなに大変とは!
    朝10時前から市役所には長蛇の列!!
    といっても、十数人ですが、一人の相談時間が数十分かかることを考えると凄い待ち時間ですよ。

    相談員だけでは対処できないから裏方の私も相談のお手伝い。
    休み時間なしの交代制ですが、裏方の私が休めるはずがなく、とうとう昼食抜き。

    年に一度のこととはいえ、ホント、くたくたになりました。
    終盤は疲労がたまり、満足な相談ができませんでした。

    市民の皆さん、ごめんなさいm(__)m





    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。